直心影流の段位は、五代傳心斎の頃までは目録傳と免状の二段階であったが、六代直翁斎の代になると切紙を追加した。そして、直心影流の段位は、五代傳心斎の頃までは目録傳と免状の二段階であったが、六代直翁斎の代になると切紙を追加した。そして、中村民雄氏によると、八代国郷の代には「初伝として渡される伝書のことを『兵法窮(究)理』もしくは、『兵法伝記』といい、これに『兵法目録、同添状』と『免状』を加えて免許の段階を三段階に整備した」切紙を一枚づつ切って門人に渡したやり方を改め、究理傳にまとめて、一括で授ける方式に変えた。後に霊剱(剣)傳を加えることにより、免許を得るまでの四段階とした。
 剣術は、元々真剣で戦いが行われて、毎日命を賭けている時代に、道場での剣術稽古法は、呼吸法、手の内、目付、間合など、基本の動きを習い、点検作業をするため、木剣での形稽古が主体であった。江戸時代中頃になると平和な時代になり、木剣が触れない組太刀稽古に変わり、稽古相手への配慮と、安全目的のため、真剣は刃挽いた。
 八代国郷の代から、韜(竹刀)、防具を用いた打合い稽古を積極的に取り入れると、道場風景もガラリと変わった。世も平和になり、立合いも少なくなった時代には、打合いの方がより実践に近いため、形稽古より面白がられ、直心影流の稽古法が変りはじめた。全盛期には、門人も千人単位で増えた。博学な十三代静斎の代には、段位を霊剱傳、窮理傳、目録傳、免許の順に変えた。その理由は、多数の入門者をまずふるいにかけるため打合い稽古をさせ、精神的な要素が含まれている霊剱傳位を初めに持ってきて、門人の精神性をみて、次に二段位の究理傳で直心影の流史を学び、その中から「読書撃剣」としての文武両道のできる優秀な門人を選び出して、はじめて法定、そして、形の習錬に入る鍛錬法を取り入れた。その後、「兵法目録」を目録本文、同添状(上位)と極意の三つの部分に分解して、目録傳位、目録添状、極意傳位とした。この頃から段位の順序は、 霊剱傳位窮理傳位目録傳位目録添状(上位)極意傳位、免許となった。明治維新以降、武道の衰退と共に、当流の門人も極端に減り、多数の門人から優秀な者を選ぶ方法が成り立たなくなった。百錬会では、入門してくる少数の門人を大切に育てて行くやり方に変ざるを得なくなった。大西百錬会会長が、早川行司元と共に当流派を検討した過程で、霊剱傳位の中心的位置に置かれている右剣左剣の霊剱(剣)は、鹿島之秘剱であること。一徳斎も伝書の中で「是傳三段の太刀の遣法也」と注目していた。霊剱傳の内容が深遠であるため、その伝書により、元々道場で剣術の基本を形から学ぶという手法を取ると、目録、同上位、霊剱、究理、極意という順序の方が、戦後の武道を取り巻く環境に合うだろうという判断になった。武士階級が存在していた時と違い、学生中心の門人の場合、まず当流再興のために、流派の真髄である法定之形から入り、その方法で門人の興味を持続させながら、流派を学ばせていく方法がより良いという結論に達した。その後、宗本部も百錬会の段位の考え方を踏襲した。直心影流は宗家制度ではなく、その特色は、流派皆伝の実力主義道統制度で成り立っていたため、その時の道統者の考え方や、その時代の背景も影響して、弾力的に運営されていたので、段位の考え方、順序は常に変化している。時代の変化に対応し、道場経営にも直接関係していた。やがて、当流を長く後世に伝えていくためにも再考した。伝位の順序を元に戻し、「窮理傳位」 「兵法傳記」 「目録傳位」 「目録添状」 「霊剱傳位」 「極意傳位」 「免状(免許)」の七段階とした。
 窮理傳は当流初心者のための切紙であったため、継ぎ接ぎで非常に長ったらしかった。一時は、初心者にこの傳位を授ける時、道統者は筆の手書きで数十日間もかけて書き綴ったという程長い。これを整理してみると二つに大別できる。稽古法定はじめ、入門稽古の心得と、基本稽古の法定が一部。そして法定奥書、当流の歴史をあらわした兵法伝記、龍之巻、理歌が二部にあたる。これを宗本部では、それぞれを「 窮理傳位」、「 兵法傳記」と呼ぶ事として、「 目録傳位」と「 目録添状」、五段目として、昔、免状を授ける目前に渡されていたという「 霊剱傳位」、「 極意傳位」そして最後に「 免状(免許)」とした。
 宗本部の各段位の習練目処としては、初伝にあたる「 窮理傳位」では、当流の稽古方法、稽古法定、礼法(心構え)を心得ることとなる。そして法定之形の仕太刀の動きから基本の構え、呼吸、手の内、足運びを習得する。「 兵法傳記」になると、鹿島神傳直心影流の流史流則を学ばなければならない。又、法定之形の仕太刀、打太刀が自然体で取り行なわれ、二間の間合を知る。そして打太刀として仕太刀を導く。「 目録傳位」に進むと、韜之形の仕太刀の打合いができるようになり、形の動きから当流のいろいろな間合、目付、手之内など、相手の技量の見積もりができるように習得しなければならない。「 目録添状」にいくと、男谷道場の流れに習って観の眼を育てながら、実戦のカンをつくるため、韜之形の両太刀が習得できた段階で、防具(ナガヌマ)稽古を行う。「 霊剱傳位」では、鹿島之剣の祓太刀としての右剣左剣と天地開闢の精神を悟り、最も難しいとされる小太刀之形の両太刀を無心で行なわれるようになる。「 極意傳」の境地に入ると、法定の裏、刃挽之形に取り組むことになる。
 「免許」の位に進むと、心気体が一体になり、形の実技としては、刃挽之形の完成を見る。この位に達すると、指導的立場に立ち、後進への指導をしながら、自分の修錬を厳しく行う。そして、静動一体の立禅ともいわれる剣道の最高峰、丸橋之形の修業に入るのである。当流では、決まり事の形稽古だけにとらわれず、徹底的に形は自然体(無心な状態)で、体が自然に動くようになるまで鍛錬するのである。この位になると、直心(赤子の心)の境地を悟り、直心影流を全うすることとなる。
この伝位順序の方が、直心影流の伝統を守りながら、現在の武道事情に合せてみれば、全く自然な流れであろう。
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一、窮理傳位(切紙) 二、兵法傳記 三、兵法目録傳位 四、兵法目録添状 五、霊剱傳位 六、極意傳位
極意
七、免許傳位
一、窮理傳位(切紙)
 究理とは、極める筋道の事で、剣術の理合をよく調べ極める事也。世の中に俳徊する兵法者など類者を云う。切組兵法、構兵法、所作兵法、系図兵法、理兵法、このたぐいの者共は世間の人を亡病人にすると見える。
この窮理傳位には、当流の入門の約束事、稽古修業の約束事、この窮理傳位を授かるにあたっての注意と約束事が加えられている。師との約ができた上で、当流の基本稽古、法定之形の修練に入るのである。
二、兵法傳記 段位メニュー
   二段目は兵法傳記である。ここでは、この流派の正統性の主張と、五百年もの間流派を育ててきた道統者達の略歴。この流派の門を叩き、法定之形の稽古に入る者として、流史を心得て置くことである。そして法定の完成をみるため、「法定奥書」、その心得として「龍之巻」と「理歌」を授かることとなる。
三、兵法目録傳位 段位メニュー
 

 目録とは師が弟子に伝授した名目を書く伝書を云う。目録傳は三部に分れていて、一部が法定之形 、二部が韜之形、三部が構えー目付、手の内、留め、体当り、切落等、修業者にとっての基本の心得の教えになる。この項目は、ひとつひとつ頭で難しく考えず、直心影流では、実技をくり返し稽古することによって、自然と基本の動きが呼吸と共に体に染込んでいくものである。頭脳だけで動けば、頭でっかちになり、「直心の心」からはずれるものである(百錬自得)。当流の目録傳位は、元々一つであったが、内容が難しいので二つに分けられた。その分け方も、後に付け加えられた添状で分けたとも、巻物が二巻に分れていたので分けたという説がある。この傳位で法定之形と韜之形という二つの形の完成を期待している。
  
 二部の韜之形は打合剣道の基本形である。法定之形では、運歩で深い吸収法で行われるが、韜之形では、真歩で軽やかに素早い動きで行われる。韜之形は、七等の名義也。敵を破る剣法なれば、破軍星の七曜に象る。然して奇正変化を付け以て、表裏十四本とするなり。もっとも業を専らとする教る。これは直心影小笠原源心斎四代の工夫にして始められたる也と伝えられている。一徳斎は、「破軍星の七曜」という、えらく難しい表現を使っているが、「破軍星」とは、北斗七星の柄の先端の星、揺光(ようこう)の別名である。陰陽道では剣先に見たてて、この星を指す方向を凶として忌んだ。

 三部では、法定之形、韜之形で習得した基本の心得の確認である。

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四、兵法目録添状 段位メニュー
   元々、この添状は兵法目録の内容が全て口伝であったため、たぶん八代国郷辺りから目録に添えた書状で、目録傳取得の時に一緒に渡された。しかし後に、段位を細分化するため、目録添状を上位段位として分けた。その内容は、 「今度目録授与する事となり一言添る也。当流直心影流目録資格迄精進修行した結果で有る事忘れず(初心忘れず)直心(素直、誠)を常に忘れず天地の理知る可し。鹿島神傳直心影流に相応しい理、法、証の備った士とならん事を願い祝う也。」 
 この添状の傳位を授かる段階で、剣道の完成度の高い技量を伴って、法定之形、韜之形の完成をみて、その修業者が当流の心技体の基本が備わったことを認めたことになる。ここから初めて当流の奥儀に入ること、修養が認められたことになる。
五、霊剱傳位 段位メニュー
   日本では、神代の昔から剣には霊力があるといわれていた。武甕槌神の霊剣位は、鹿島の祠官、国摩真人が境内の高天原に祭壇を築いて、大神の 霊の法則を授かった事からはじまったといわれている。そして霊剱傳位の内容は、元々流祖が鹿島の神から授かったといわれる法定の原点でもある霊剱だけであった。それは口伝とされていたが、時の道統者達に味付けされ、独立した傳位になった。そして免許(兵法免状)を授ける目前に門人に渡されていた、とても重要な傳位であった。精神性を重んじる十三代静斎は、当流の精神的支柱の重要性を考慮に入れ、入門する前から刀剣の扱いには慣れた武士階級の存在がある中で、初伝として多数の入門者にこの水準を要求した。しかし武士階級がなくなった維新以降には状況が変わり、当会としては元に戻した。
 この霊剱傳は後世の道統者によっていろいろ味つけされてきたが、元々は「右剱左剱」「天地開闢剱」(この世の始まり)という霊剱のことである。この太刀の事は神話の時代から存在していて、神前に対してのお祓いの行為、祓太刀で流祖から流れる基本の太刀である。真剣を用いて単独で行ってもよいし、木剣で法定之形の中でいつでも祓ってよい。打太刀が「ヤーァ」という気合で進め、仕太刀がそれに「エー」とこたえる形になる。
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六、極意傳位
  極意 段位メニュー
  「兵法目録」傳の一番最後の部分に「極意」がでてくる。この最初に「あうん」の花押が書かれていて、その下に「功妙剱」「心妙剱」「口傳」と書かれている。
   (あうん)
 生まれる赤子はオギャーと腹式呼吸で誕生する。五十音でいうと、「あ」から始まり「ん」で終わる。人の一生も同じ阿吽で始まり終わる。生きている則ち息をしている事の意也。剣の修業で虚実を知り、法、すなわち水去る。稽古法の中で説明した直心影流の呼吸法も「あうん」である。自然の運行を感じ、無為自然への道へ到達すべし。功妙剱と心妙剱は陰陽二気、虚実二気である。
七、免許傳位 段位メニュー
   この傳位は、正式には「直心影流兵法免状」という。この免状の前に大きな○が描かれている。昔は○だけであったが、途中(たぶん八代国郷)から○の中に明鏡止水(赤子の心、直心)からの「明鏡」の二文字が入るようになった。この免状を授けられて、はじめて師から、自分の道場を持てる許可がでたことになる。
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